四谷駅を背に新宿方面へ向かう新宿通り沿い。地下へ降りる階段の上に掲げられた看板が目を引く「いーぐる」は、1967年創業の老舗ジャズ喫茶。午後6時までは基本的に会話禁止で、ジャズの調べにどっぷりと浸かる。6時以降のバータイムは、それぞれのスタイルでジャズを楽しむことができる。往年のジャズ喫茶のしきたりを今も守る、風格漂う店だ。
オーナーの後藤雅洋氏は、ジャズの著作を多数上梓しているこの道のプロフェッショナル。が、オープン当初は、ジャズにそれほど精通していたわけではなかったという。
「ジャズ好きが高じてこの店をオープンしたのかと訊かれることが多いけれど、そうじゃない。何となくカッコイイなと思って(笑)。20歳のときにたまたま始めたら、今まで続いたというところですね」
店名は、当時、後藤氏の父が経営していたバーの名前を引き継いだ。「店名が同じだと、コースターやマッチがそのまま使えるでしょ?それに、ジャズ由来の名前じゃないから、他店とかぶらない。そこらへんは計算していましたね(笑)」と、後藤氏は白い歯を見せる。
ドリンクはもちろんフード類も充実し、後藤氏の奥様の手による、ケーキセットも人気を博す。ウッディなインテリアが安らぎを与えてくれる店内で、後藤氏が選曲する良質なジャズを楽しむ。ジャズ喫茶のエッセンスを凝縮したかのような「いーぐる」の魅力は、その歴史の長さが物語っている。
「いーぐる」で、現在使われているスピーカーは「4344MkⅡ」だ。オープン当初からずっとJBLのスピーカーを使い続けてきた後藤氏。最初の「SP-LE8T」から始まり、「L88 Nova」、「4343B」などを経て、現在のスピーカーシステムにたどり着いた。
「個人的に、JBLのスピーカーが好きだったこともあるけれど、それだけじゃない。ジャズには一番、JBLが向いていると思いますよ。1960年代以降、ジャズのアルバムを制作するときのモニタースピーカーだったわけだから。ミュージシャンの躍動感や力感、リズム感。そんな要素を圧倒的に表現することができるのが、JBLのスピーカーなんです」
JBLのスピーカーの中でも、とりわけ「4344MkⅡ」は、従来の優れた音像に加え空間の再現性を備えていると、後藤氏は評価する。
「それまでのJBLスピーカーは、だいたい音像型でした。楽器のリアリティには優れているけれど、定位があまりよくなかった。ところが4344MkⅡでは、音楽が鳴ってる空間の再現性がよくなった。楽器のリアリティが低減することなく、音場感、空気感が表現できるようになったんです」
どんなスピーカーもアンプも、買ってきてポンと置いて鳴らせるようなものではないと語る後藤氏。どこに置くのか?その下に何を敷くのか?試行錯誤を重ね、繰り返し検証していく。
「『いい音』に仕上げるには、10年はかかります。ジャズの再現性には、決して妥協はしていません。完成というものは存在しないけれど、今のシステムには満足しています」
レコード約4000枚、CD約6000枚という膨大なコレクションの中から、後藤氏が徹底的に考え抜いた選曲パターンでジャズを聴けるのも、「いーぐる」の大きな魅力のひとつだ。そのパターン数は、何と500を超える。
「選曲には自信があります。ものすごく考えていますから(笑)。偏らぬようにして、しかも流れを考えています。およそ2時間でワンクールですね。例えば、フランス料理のコースを考えてみればいい。出て来る料理が同じだとしても、デザートから逆に食べたら気持ちが悪い。それと同じこと。いいものを提供するのは当然。その順序、流れが重要なんです」
ジャズ喫茶は、黙ってジャズを聴く場所。そう言い切る後藤氏。ジャズの神髄を極めたプロフェッショナルの至言だ。
「ジャズ喫茶では、黙ってかかっているジャズを聴くのも、楽しみ方のひとつだと思っています。例えばリクエストは、その店の曲の流れを中断させ、その場を制御することになってしまうこともある。残りの人は、それに従わざるを得ない。そのお店によってカラーもあるので、それにフィットしない曲をかけてもらうのもいいことではないですね。その店のマスターがかけるジャズをカラダに浸み込ませる。ジャズ喫茶って、そんな場所なんじゃないかな」
後藤氏の選曲に身をゆだね、ジャズをカラダに浸み込ませる。ここ「いーぐる」では、ジャズの醍醐味を思う存分味わうことができる。