大阪・北新地のメインストリート、新地本通り。背広姿のサラリーマンたちと、煌びやかな女性たちが激しく行き交うこの通りのビルの2階に「Meursault 2nd Club(ムルソー・セカンドクラブ)」はある。柔らかい光が心地よい落ち着いた雰囲気の店内に入ると、本漆塗りの重厚なカウンター越しに世界から集めたボトルが並び、奥にはマイルス・デイビスのポートレートとグランドピアノ、そしてJBLオリンパスS7Rが出迎えてくれる。
この店のオーナー東司丘興一氏は、北新地社交料飲協会や日本バーテンダー協会で重職を務める人物。北新地を代表するオーセンティックなバー「サルーンバー・ムルソー」を経営しながら、「ジャズに帰れる場所をつくりたい」という想いからオープンしたのが、「Meursault 2nd Club」だ。
氏がジャズ喫茶をはじめたのは、今から48年前。高校3年生だったというから驚かされる。場所は大阪・森小路の5坪ほどのスペースだった。
「ジャズをかける店をしたかったんです。かつて大阪・ミナミに『Five Spot』という店があって、高校1年生からそこでバイトしながらいろんな音楽を聴かせてもらいました。店を始めたころには250枚くらいは持っていたかな。当時、アルバムが2700円。バイト代が時給80円で、コーヒー一杯150円。ちょうど70年安保のころで、近くにある旭高校から地元の同級生がよく来てくれました。なかにはジャズ評論家の中山康樹とか、マイルス・デイビスの撮影で知られる内山繁など、おもしろいメンバーが集まっていました」
その後、1972年に梅田に移転する。昼間のジャズ喫茶タイムには、ウエストコーストのフリージャズ系を大音響で聴かせ、夜のバータイムには白人ボーカルものを中心に心地よいサウンドでお酒と一緒に楽しんでいただく。それが大阪で初となるジャズバーの誕生の瞬間でもあった。
「当時、レコードは高価だったので、みんな音楽に飢えていました。必然的にお店ではいい音楽が求められた。流行っていたReturn to ForeverやKeith Jarettは何度かけたかわかりません(笑)。ただ、リクエストに応えるだけではおもしろくないので、お客様が聴いたことのない曲や、どこよりも早い新譜を聴かせたい。それも普通では手の届かない極上のサウンドで! 選曲とサウンド。この両方があってはじめてお金をいただけるんです。そういう意味で、私にとってのキラーコンテンツがJBLのスピーカーでした」
いろいろな店で音を聴き、自分の音を見つけてきた東司丘氏。そんな氏をうならせたJBLとの出会いは、バイトしていたという前述の「Five Spot」だった。
「PARAGONのコンパクト版C46 MINIGONが置かれていました。フルレンジLE8Tから奏でる柔らかなサウンドが心地よくて、いつかはJBLのスピーカーを手に入れようと思ったものです。その後、大阪のキタとミナミにあった『バンビ』などで、Olympus S8RやPARAGONも耳にしましたが、私の耳にマッチしたのが、LANCER 101でした」
LANCER 101は、35.5cmコーン型ウーファー・LE14Aに、ホーン型ツイーター・LE175DLH、ネットワークにLX10を使った2ウェイスピーカーシステムである。
「リアルなサウンドを求めるならば、3ウェイスピーカーがいいと思いますが、私が求めたのは耳に心地よい音。そういう意味で、2ウェイスピーカーの組み合わせがよかったんです。リアルな音と心地よい音は違いますから」
現在、Meursault 2nd Clubに置かれているOlympus S7Rも、LANCER 101同様、38cmコーン型ウーファーのLE15Aにスコーカー&ホーンのLE85&HL91による2ウェイスピーカーモデル。格子状グリルを持つオリジナルボディから繰り出されるサウンドは、角のとれた素直な音が特徴だ。
「デリカシーのある音といえばいいんでしょうか。低音を強調するブーミーさはなく、ひたすらナチュラルな響きがいいですね。特にシンバルの繊細な音がいい。Tony Williamsのライドシンバルの音を聴くと、その違いがよくわかります」
オーディオが好きな人でないと、どこから鳴っているのかわからないかもしれない。まるで最初から備え付けられていたかと思わせるほど、Olympus S7Rはこの店の空間に馴染んでいた。
「理想は、音が耳と同じ位置に来ること。それには上から響くよりも、下から昇ってくる音がいい。そこで、Olympus S7Rをフロアに直付けしています。店のどこに座っても、耳に心地よく響いていると思います。本当はもう少し大きなボリュームを出したいのですが、なんといっても会話が大切。うるさいと言われることが一番辛いですから(笑)」
東司丘氏が「最後に帰る場所」としてスタートした「Meursault 2nd Club」。森小路でのジャズ喫茶以来、ジャズを聴かせることにこだわってきた氏にとっての"終の住処"には、2万枚におよぶ愛蔵コレクションから選りすぐりのアナログレコード3000枚、CD5000枚を常設。なかなかお目にかかれない珍しいアルバムも多く、マニアにとっては堪らない場所である。
「この店での絶対条件は、バーテンダーが音楽をかけること。ジャズ喫茶のよき伝統を継承すべく、場のムードや曲の流れを考えた選曲を、バーテンダー自らが行なっています。音源にあわせ、低音や中音域の調整もバーテンダーの仕事。音楽とお酒、そして会話。この3つがマリアージュする場所が理想ですね」
そのサウンドを求め、大阪はもとより、遠方から来られる方も多い。しかし、すべての人が音楽を楽しみに訪れるわけではない。商談で来られる方、北新地で遊んで来られる方、深夜ともなるとホステスさんと一緒に訪れる方もいる。それぞれの空気を見ながら、会話の邪魔をせず、流れにマッチする音楽を鳴らす。これは決して簡単なことではない。音楽とお酒の知識はもちろん、場を読む感性を持ち合わせていなければできることではない。
「それこそが、ジャズバーのあるべき姿だと思っています」
取材ではにこやかさに対応する東司丘氏だが、ひとたびシェーカーを振ると、真剣な表情に一変。まるで店内に飾られたマイルス・デイビスがミュージシャンを一瞥したときのような、ある種の"緊張感"がジャズバーにはマストなメニューだったことを、もう一度思い起こさせてくれた瞬間だった。