近鉄四日市駅で湯の山線に乗り替えて4駅。高角駅の無人改札を抜け、田畑に囲まれた川沿いの道を5分ほど歩いたところに「JAZZ & Cafe Bar Salaam(ジャズ&カフェバー サラーム)」はある。
周囲には商業施設もなければ、住宅街もない。それにもかかわらず、Salaamは100名も収容できる客席を用意している。失礼を承知で言わせていただくと、なぜこんなところに、こんなにも大規模なジャズ喫茶を、と思ってしまう。いまは常連となった方々も2003年にSalaamがオープンした当初は同じことを感じたようで、オーナーの熊倉正夫氏は「みんなから『なんでこんな田舎で?』って言われましたよ」と目を細める。
しかし、それは第三者が商売的視点から見た場合の話。専門学校の講師を辞めてジャズ喫茶を始めることを決めた熊倉氏には、揺るぎないポリシーがあった。
「勤め人だった頃から、勝手に自分で55歳を定年に決めていたんです。55歳までに退職して起業をして、70歳くらいで引退しようってね。自分が楽しもうというところからのスタートだったので、儲けようなんて発想は全然ありませんでした。しかも自分が理想とする店を住宅街の近くでつくろうと思ったら、周辺に迷惑がかかってしまう。最終的にこの場所に落ち着いたわけです」
そして掲げたコンセプトは「子育てや仕事に追われた中高年の人たちがホッと一息つける空間」。若手のミュージシャンやプロを目指す若い人たちを応援したいという気持ちもあった。
そのため、良質な音を鳴らす空間づくりに徹底的にこだわった。機械系専門学校の講師だった熊倉氏は、音の広がりを計算して自ら平面図を引き、職人とすり合せをしながら店をつくりあげていった。
「この店には何本かの通し柱があるんですけど、このご時世ですから、建てるときに『強度のある鉄筋にしたら?』って話があったんです。でも、鉄筋にしたら反響してその近くに座るお客さんが不快に感じるだろうなと。音を最優先に考えて、木材を採用しました」
建物の設計や素材選びと同様、熊倉氏はオーディオ機器の選定にもこだわった。
「若い頃からジャズが好きだったので、店で流す音楽はだいたい決めていました。そして、ジャズを流すならオーディオはアメリカのメーカーだろうと。そう思っていたところで、ワンオーナーの状態のいいEVERESTが見つかったんです」
熊倉氏が選択したEVEREST DD55000は、38cmコーン型ウーハーの150-4H、ドライバーユニットの2425HとHFホーンの2346を組み合わせたホーン型ミッドレンジを搭載する最終型の1985年製だ。2425Hと150-4Hを正面から30度、2405Hを60度に配置し、広いリスニングエリアを実現している。広々とした店内にベストなチョイスだったといえる。
「普通は2台のスピーカーの真ん中が一番よい音で聴けるポイントになりますが、このタイプのスピーカーはあまりポイントを選ばないんです。オープンする前に実際に音を出して店内のいろんなところで録音をしてみましたが、そんなにばらつきがありませんでした。少し離して設置しているこのポジションが正解だって思いましたね」
EVEREST DD55000の高いポテンシャルを引き出すために、プレーヤーの選定においても妥協はなかった。熊倉氏がチョイスしたレコードプレーヤーは、光でレコードを再生する高価なELPのレーザーターンテーブルだった。
「針のプレーヤーと違って接触音が増幅しないので、客席がある位置までスピーカーから離れると、大音量で流してもスクラッチノイズが気になることはありません。ジャズ喫茶でレーザーターンテーブルを使っているというのはあまり聞いたことがなかったので、店を始めると決めたときからプレーヤーはこれにしようと思っていました」
そうして順調にオープンへと向かっていった熊倉氏だが、準備が遅れていたこともある。
「若いミュージシャンを応援したいと思って店内をライブができる設計にしましたが、当時は演者にまで頭が回らなくて……。ただ、音にこだわって建てたら出演したいっていう若者が来てくれるんじゃないかって、なんとなくですけど思ってはいました」
かくしてオープンから半年。熊倉氏の思惑通りにコトは進んでいく。オープン時は知り合いのミュージシャンに演奏してもらったが、徐々に口コミでSalaamの音の良さが知れ渡たり、オープンから半年が経った頃には熊倉氏が呼びかけなくても出演希望者が訪れるようになっていた。
話は少し遡って、熊倉氏が専門学校を退職する2003年3月。ジャズ喫茶を始めることを決めていた熊倉氏だが、生徒から店名を聞かれて"はっ"とする。店の名前まで考えていなかったのだ。
「ちょうどその頃でした。アメリカ軍がイラクを攻撃する映像がテレビ画面から流れてきて、ふと本田竹広の「Salaam Salaam」が頭に浮かんだんです。そのLPのジャケットによれば、"Salaam"はスワヒリ語で"平和"という意味。彼が脳出血で2回倒れ、リハビリを経て驚異的な復活を遂げたというエピソードも共鳴するものがありましたね」
というのも、熊倉氏が55歳を定年にすると決めたのには、2度の手術を余儀なくされるほどの困難を負ったことが影響している。その病床で自分の人生を振り返り、ジャズ喫茶を始めることを決めたのだった。
「この店は自分のために始めたものだから、誰かに継いでもらおうとか、残してほしいという気持ちはありません。若い頃に聴いていたジャズをもう一度楽しみたいという思いから始めましたから、もとをとろうなんて考えもありません。この店は一代限り。僕の代で終わりです」
そう言い切る熊倉氏の計画通りにここまでは進んできたが、最近になって、少し予定にズレが生じてきている。55歳でSalaamを始めた熊倉氏は、取材した2018年6月現在で70歳に達している。15年前は70歳くらいで引退するつもりだったそうだが……。
「意外ともつものですね。どこまでもつかわかりませんが、できるところまでやりますよ」
そう言って笑う熊倉氏。まだまだしばらくはSalaamで、熊倉氏の笑顔とEVEREST DD55000サウンドを楽しむことができそうだ。