JR福知山線・伊丹駅前にある有岡城跡を抜け、酒蔵通りを西へ1分ほどのところにある伊丹市立演劇ホール(アイ・ホール)。その1階で赤い柱とガラス張りの外観を持つお店が、今回お邪魔する「ジャズ&カフェ ステージ」である。通りからは店内を見ることができず、どんなお店か一見わかりにくいが、ガラスに書かれたライブ告知がジャズカフェであることを主張している。
店内に入ると、外からは想像できないほど広々とした空間が目の前に広がる。ひたすら天井は高く、ゆっくりと店内をまわる風により、翼を広げた鳥のオブジェがやさしく舞っている。バックカウンターから曲線的に広がる造形が、店内に柔らかさをもたらしていた。
そんな店内の入口横に鎮座するのが、JBLのオーディオシステム。店内全体を眺めるように置かれたシステムは、独特の格子柄のサランネットに大きなエンクロージャーを持つオリンパスS8R。その上には同じくJBLのホーンツイーターHL90をプラスし、圧倒的な存在感を放っていた。
「ジャズ&カフェ ステージ」がオープンしたのは、1990年。きっかけはオーナーの馬川氏が、生まれ故郷の伊丹に戻ってきたころに戻る。
「38〜39歳ころに伊丹に帰ってきたのですが、そのころはジャズ喫茶がなくなっていった時期でした。私を含め、これまで多くのジャズ喫茶にお世話になってきた世代の人にとっては、行くところがなくなってしまったんです。ならば、ずっとお世話になったジャズ喫茶を自分でやってやろう! そんな冗談半分で始めました(笑)」前述の通り、場所は伊丹市立演劇ホール(アイ・ホール)の1階ということもあり、ジャズ好きの市の職員から「岩手・一関のベイシーのような店にしてください」と頼まれたという。
馬川氏がジャズと出会ったのは、中学生のころ。デイブ・ブルーベックの「Take 5」に衝撃を受けた馬川青年は、高校生のころには梅田や豊中にあったジャズ喫茶に通うようになる。
「当時はアナログレコードでしたが、同じ30分聴くならばいい音の方がいいじゃないですか。当時、行きつけのジャズ喫茶で鳴っていたのが、JBLのオリンパスでした。そんな音がいつも聴けたらいいのですが、当時JBLは高嶺の花。いつかは持ちたいと思うよりも、単純にいい音を聴くために通っていました」
馬川氏が初めてJBLのスピーカーを手に入れたのは、22歳の時。サンスイのフロア型スピーカーシステムSP-505Jだった。JBLのD123という30cmコーン型フルレンジスピーカーを搭載するスピーカーシステムで、その後2ウェイ化のためドライバーユニットLE85をプラスしたという。なお、店をオープンした当時はダイヤトーンの2S-305を使っていた。
「性能的に不満があったわけではないのですが、どちらも30cm。もう少しゆったりとした音を求めると、やはり38cmが欲しくなる。それが悩みの始まりでした(笑)。すっかりその魔力に引き込まれ、試行錯誤の日々がスタートしました」
それは開店してから2〜3年目のこと。どうしてもJBL38cmフルレンジスピーカーD130を手に入れたいと探すものの、すでに製造販売は終了。程度と価格で折り合いがつくものがなかなか見つからず、D130に一番近いスペックのPA用のE130を購入し、245ℓのエンクロージャーをオーダーして鳴らしていたという。
「当初は満足していましたが、次第にいろいろと気になってきました。HL91をHL87や075に換えたり、LX-10を使って3ウェイにしてみたり、自作のウッドホーンを制作してみたり……。しかし、あるとき大阪の日本橋で出会ったのが、探していたD130でした。さっそく購入して、D123で鳴らしていたLE85との2ウェイで鳴らしてみたんです。すると、いままでユニットごとに鳴っていた音が、丸みを帯びてひとつのスピーカーから聴こえてきました。あたかも以前からそこにあったかのようなサウンドになったんです。あ〜、ようやくこれで落ち着けると思いましたね(笑)」
これで一件落着と思っていた2005年。常連客よりオリンパスS8Rを譲っていただけるという情報が入ってきた。
「オリンパスは私にとって夢のスピーカーでした。ジャズ喫茶で聴いていたオリンパスで育ったこともありますし、なによりも家具を思わせる繊細な作りが好きでした。ただ、D130で完成したと思っていたシステムをいまさら換えるのか? 正直、そんな思いもありました」
受け取りに行ったオリンパスは15年間寝かされていたもので、阪神大震災でサランネットにキズがついており、ウーファーもホコリだらけ。しかし、それを取り除いたらほぼ無傷の状態だった。
「さっそく店に持ち帰り、鳴らしてみたんです。最初に聴いたのがビル・エバンスの『Waltz for Debby』。するとベーシストのスコット・ラファロがいない(笑)。やっぱりダメか…と、これには落ち込みました。しかし1時間ほど経つと、次第にベースの音が出てきたんです。その瞬間は感動的でしたね(笑)。今でもよく覚えています。考えてみれば、15年も動かしていなければクルマだって簡単には動きませんよね。鳴らしたその日に往年の名機の片鱗を感じられたことはラッキーでした。磨けば光るという確信を得ましたね」
その日から閉店後は時間を忘れて試聴する日々が続いた。整備と調整はもちろん、ウーファーの上下をひっくり返すなど、理想の音に近づけるための試行錯誤が続いた。なかでも低音不足を解消するため、ウーファーの振動板を支えるゴムエッジの硬化を解消する柔軟剤の塗布には時間をかけた。しかし回復が見込めないため、ゴムエッジの張り替えを依頼。するとゴムエッジではなくウレタン仕様になって戻ってきた。
「改良のためにウレタン仕様になっていたんです。戻ってきたときはビックリしましたが、伸び伸びとした低音が出るようになり、低音の不足を見事に解消。よく鳴るようになりました」
それから10年間、ウレタン仕様で鳴らしていたところ、たまたまオリンパス用の白ゴムエッジを発見。これはなにかの縁と、ウレタンからゴムエッジに再度交換する。
「私が考えるオリンパスの独特なサウンドが戻ってきたと思いました。ウレタンもいいのですが、やはりオリジナルのゴムエッジの音が好きですね」
でも、そこで立ち止まらないのが馬川氏。今度はドライバーユニット375にホーンレンズHL90をオリンパスにプラスする。
「音場が一気に広がり、立体感のあるサウンドが手に入りました。おかげでビッグバンドの臨場感が味わえるようになりました。オリンパスと横幅がピッタリあっているので、後付け感がないのも気に入っています」
まさに"お化けホーン"という言葉がピッタリなHL90と、じっくりと熟成させたオリンパスS8Rが奏でるサウンドを目当てに、遠くからでもオーディオ好きが集まってくるという。この場所で、ビッグバンドのライブも行なわれるが、その柔らかくも臨場感のあるサウンドに耳の肥えたプレイヤーたちも頻繁に訪れるという。
「鳴らすほどに、音が変わってくる。それがJBLの魅力ですね。まさに育てていけるオーディオだと思います。私にとって、JBLは一生ものの相棒。これからも育て続けていきますよ」