行きつけの店、それもジャズバーがあれば、日々の暮らしがちょっぴり豊かになる。それが、自宅の近くにあればなおさらだ。仕事が終わって帰宅するまでの間の息抜きに、もしくは好きなお酒とちょっとした酒肴を、はたまた、しっかりとした食事をとりたい、そんなさまざまなニーズに応える、しかも"くつろぎ"のジャズバーが、三軒茶屋にある。
今年(2017年)、創業40年をむかえる「Jazz Inn Uncle Tom(ジャズ イン アンクルトム)」は、そんなアットホームな店。マスターの作左部哲平さん、ママの寿美子さんのおふたりがもてなしてくれる。ママといっても寿美子さんは哲平さんの奥さまではなく、まさしくママ=お母様でいらっしゃる。そう、「Jazz Inn Uncle Tom」は、親子二代に渡るジャズバーなのである。
学生時代、ジャズに魅了されたママは、初代マスター(つまり、哲平さんのお父様)が切り盛りするこちらに通っていたそうだ。やがて恋に落ち、結婚、出産となった次第。当時は、この地の2階がバーで、住まいも兼ねていた。1階は書店で、どちらもお父様が経営なさっていたという。物心つく前からジャズと書籍に囲まれていたという哲平さん。さぞや、ジャズの英才教育を……と思いきや、
「ごく普通です(笑)。ただ、家にいればジャズが聴こえてくる。誰のレコードだとか、そういったことはまったく気にしていませんでした」
たまたま家業がジャズバーというだけ。思春期にはゲームと映画にどっぷり。特段、店を継ぐという気持ちもなく、まったく異なる職種に就いていた。しかし、「たまたま休職中(笑)」だった折、お父様の体調が崩れ、闘病……そして残念ながら亡くなられてしまった。
「親戚がね、どうせ儲からないんだから『辞めちゃえば』って簡単に言うんですよ。それを聞いていたら、どうしようもなく奮い立って。潰れてもいいから継ぐよ、店を続けるよ」と、哲平さんが店に立つことになった。2002年のことだった。
当時、哲平さんは22歳。百戦錬磨のジャズファンから見れば、"ヒヨッ子"である。ジャズバーどころか飲食経営も未経験。そもそもコンピュータ関連の仕事に就いていた。まったく異なる業種への転換にとまどいがあったのでは?
「それがそうでもないんです。小さいときから見ていたからでしょうか。それに、お客さんの"行き着け"がなくなったらマズイなと思って。自分に置き換えてみるとわかるんですが、嫌でしょ? ある日突然、馴染みの酒場が消えちゃうなんて」
三つ子の魂百までのごとく。もちろん、寿美子さんのサポートもあって哲平さんは着々と歩み、後を継いで早15年。今やすっかり、二代目マスターの貫禄も充分だ。哲平さんならではの個性があちこちに見られ、なかでも日本酒、しかも"通"が小躍りしてしまいそうな銘柄を用意している。自分らしさを出すためにはどうしようかと考えたところ、"ジャズと日本酒"にたどり着いたという。年間100本程度はテイスティングして、哲平さんが「これぞ!」と思った1本を仕入れている。同じく日本酒好きの寿美子さんとともに、蔵元へ足を運ぶこともあるという。
さらには、「日本酒をおいしく飲むには、やっぱり魚でしょ」と、金曜、土曜は哲平さんの眼鏡にかなった魚介類が仕入れられ、割烹さながらのお造りを供している。はたまたハンバーグ、ドライカレーなど洋食メニューもあり(というか、こちらが元祖だ)、ガッツリとお腹を満たすこともでき、なんとも使い勝手がいいお店なのである。
カウンターの中央席が、ちょうど「4312XP」のセンターにあたり、むろん特等席だ。「買ってから一度もメンテナンスをしていないのに、まったく不具合がありませんし、不満もありません」と、このスピーカーを先代の時代から変わらずに愛用している。
哲平さんご自身がよく知るスピーカーは「4312XP」だけだというが、ほかのジャズバーなどで、JBL以外のスピーカーでジャズを聴くと、なんだか違うな、と感じるそう。「シンバルの高音が鮮明に聴こえるなど、JBLの音には"生音の感覚"があります。自分が求めている音質、疲れない音を再現してくれるんですよね」
音楽は、バーという空間を演出する大きな存在だ。レアなレコードを聴きたい人もいれば、大音量に身を委ねたい人もいる。かかる音楽を会話のきっかけにしたい人もいるだろうし、そもそも、マスターとのやりとりを楽しみたい人もいるだろう。だから哲平さんは、その時々に応じてかけるレコード、音量を加減している。基本はレコードだが、レコード交換の際に「無音な時」が流れるのが嫌で、CDをかけっぱなしにしているそうだ。つまり、レコード演奏中はCDプレイヤーの音をオフ、交換時にオンにするという。「心地よくジャズに浸ってほしい」そんな思いに「4312XP」は常に寄り添っている。
所有レコードの枚数をよく訊かれるが、きちんと数えたことがないため「たぶん約2000枚」と答えるという。半分は先代からのもので、残り半分は自身で揃えたものとお客さんが持ち寄ったものだそうだ。50年代終わり?60年代が多く、チック・コリアやセロニアス・モンクが哲平さんの好み。この日は名盤『return to forever』にはじまり、チャールズ・ミンガスの『RIGHT NOW』、さらには向井滋春の『ファイバリット・タイム』、はては筒井康隆の全集刊行記念プレゼントの非売品がかかるなど、「次は何が?」というワクワク感もたまならい。
「マスターの選曲で心地よいひとときをお楽しみ下さい」とカウンターにあるように、リクエストはご遠慮を。でも、哲平さんと会話するうち、好みを察知してくれる可能性はかなりある。
リラックスしてグラスをかたむけ、耳を澄ます。気取らず気負わず、和みの時間に包まれる、そんな店だ。