眼前には日本一の広さを誇る琵琶湖の水面、背面には比良山系の山並みを望める絶好のロケーションにある「ユースホステル和邇浜(わにはま)青年会館」。琵琶湖大橋西側に南北に伸びる国道161号を3.5kmほど北上すると現れる和邇川を曲がり、琵琶湖に突き当たった湖畔に、その場所はある。
しかし、目指すコーヒーショップがなかなか見当たらない。道を間違えたかとまわりを見回していると、「こちらですよ」と建物奥から出てきた方にご案内いただく。ユースホステルの玄関を入って右手ドアにコーヒーショップの文字。ドアを開けると、まるで別世界が広がっていた。
ご案内いただいた方が、コーヒーショップの店長、藤野大介氏。想像以上に若い方だったことに加え、年代を感じさせるユースホステルのなかにあって、柔らかいウッドの色調と、薫りのオシャレなコーヒーショップが出てきたことに驚かされた。さっそく藤野氏にこのお店を始めたきっかけをうかがった。
「もともと金融関係の仕事をしていたのですが、結婚して妻の実家であるこちらに住むようになったんです。京都で仕事をしながら、土・日曜は手伝っていましたが、ユースホステルにいらっしゃるお客様からの『楽しかった、また来ますね』という言葉を聞くうちに、感謝される仕事の素晴らしさを実感し、それで脱サラを決めたことがきっかけです」
ユースホステル和邇浜青年会館は1955年の開設以来、大学の部やサークル活動の合宿で使われることが多く、なかでもジャズのビッグバンドやクラシックのオーケストラなどの音楽系クラブにとって楽器の練習ができて合宿できる場所として使われてきた。
「いまコーヒーショップになっている場所は、かつては倉庫でした。そこにPARAGON(パラゴン)があったんです。最初は何かわからなかったのですが、義父からスピーカーだと聞かされ、それがPARAGONだとわかりました。もう、一目でそのデザインに魅了されましたね。正面の丸みのある形状や、ホーンツイーターの独特な形状、置いてあるだけで完成したカタチといえばいいでしょうか。試しに小さなコンポにつなげてみると、いきなりスゴい音が出てきたんです。ネットワークが壊れていて、片側しか鳴らなかったのですが、部屋全体に柔らかく響き渡る音。これまで聴いたことのない音でした」
このPARAGONは、もともとは奥様のお祖父様が1979年に注文して手に入れたものだった。今はない別館のゲストハウスの喫茶店に置くために購入。その後、喫茶店はなくなり、現在のユースホステルの食堂では"棚"として35年間使われていたという。
「せっかくの名機が壊れたままではもったいない。ステレオで聴けるようにしたいと思い、祖父がPARAGONを購入した近くの『ちとせ電気』さんにお願いして、聴けるようにしてもらいました。それが2012年です」
もともと音楽が好きで、ギターを弾いていたという藤野氏。年齢的にはCD世代だが、カセットデッキで聴いた暖かみのあるサウンドがアナログに目覚めたきっかけだった。その後、社会人になり京都のジャズバーや、出張に行くたびに各地のお店を巡るなかで、JBLのスピーカーへの憧れを持つようになったという。
「脱サラをしてユースホステルを手伝っていたのですが、せっかくなので好きなことをしようと考えたんです。その時に頭に浮かんだのが、PARAGONが聴けるコーヒーショップでした」
2016年夏。コーヒーショップにするため、まずはPARAGONが置かれていた倉庫の整理をはじめる。ユースホステルの手伝いをしながら、隙間時間に行なう倉庫の整理は遅々として進まず、終わるまで半年を要した。同時に、コーヒーショップの目玉となるPARAGONをちゃんとした状態に戻したい。そこで、ちとせ電気に再登場願い、PARAGONの本格的な修復がはじまった。
しかし、なんと言っても約40年前のPARAGON。ツイーターと中域ホーンは無傷だったものの、経年変化や置かれていた状況によるネットワークの劣化とウーファーの湿気による膨張が見つかった。そこで、ネットワークの古くなったところを交換し、ウーファーはプレスして元の状態に近づけ、エッジを張り替えた。もうひとつの問題は、外装だった。
「なんせ35年間、ユースホステルの食堂で棚として使われていました。キズはもちろん、キャビネットにはしょう油の輪染みなどがついていました。外装を修理できるところを探すと、たまたま近くのアンティーク家具屋さんに行き着いたんです。キズや欠けている部分の修理は、PARAGONが製造された同時代のもの、例えばミシン台などから素材を切り出すという仕事ぶりで、納得のいく修復をしていただきました。しょうゆ油の輪染みなどは、私がペーパー掛けをし、最後に倉庫に落ちていたJBLのオイルワックスで仕上げました」
念願だったPARAGONの修復が終わり、整理の済んだ部屋で、ひたすらPARAGONの音を聴きつづけたという藤野氏。
「どうすればPARAGONの音をよく響かせられるのかを考えました。床に直置きか、かさ上げして耳の高さにまで持って行ったほうがいいのか。これまで聴いてきたなかで、やはり音は上から降ってくる感じがいい。そこで、もともとコンクリートだった地面のうえに、60cm厚のコンクリートでかさ上げをしました。ナチュラルな響きを手に入れるため、地面にはコンクリートのうえにタイルを、壁はベニアの板を張りました」
店の内装は、藤野氏がこれまで通ったジャズ喫茶&バー、ロックバーの要素をミックスしたもの。スピーカーやアンプが70年代に製造されたアメリカ製。好きな音楽も70年代のジャズやロックということもあって、店内はその当時の雰囲気を出したという。
倉庫の整理をはじめてから1年3ヵ月経った2017年11月、藤野氏の思い描くコーヒーショップがついに完成した。ウッドの色調が心地よい店内には、藤野氏厳選の浅煎り豆を使った淹れたてのコーヒーの薫りが広がり、店の奥に鎮座するPARAGONからの柔らかいサウンドが響いてくる。
藤野氏が選んだのが、ノラ・ジョーンズの「Come Away with Me」。ボーカルの声がナチュラルに響き渡る。ドラムのブラシやシンバルが耳に優しく、ベースの低音もひたすら自然な響き。音の出所はPARAGONなのだが、部屋全体がまるでスピーカーのように響いてくるのに、ボーカルを含めたミュージシャンの立ち位置までが見えてくる。かなりの音量にしても会話ができる。すると、頭の中がしびれていることに気づく。ひとつひとつの音が、まるで脳を心地よくマッサージするかのような感覚。ココロとカラダがリラックスしていく自分を発見する。ついつい時間を忘れてしまい、ずっと聴いていたい気持ちにさせられる。
「新聞やテレビに出たこともあり、遠くからもオーディオ好きな方がいらっしゃいますね。大学のサークルや部の合宿で来られた若い世代の方が日曜にいらっしゃることも多くなりました。これからも日々いい音を鳴らして、お客さんを増やしていきたいですね。4名以上ですが、事前予約いただければ夜の営業も可能です。お酒を飲みながら、ご自分のお気に入りのアナログレコードをお持ちいただくこともできます。今後は、いろいろな使い方を提案していければと思います」
最高のロケーションのなかで聴くPARAGONサウンド。ココロとカラダの疲れを解きほぐす音空間に、一度、身をゆだねてみてはいかがだろうか。