近年、穴場の街として注目を集めている北千住。真新しい飲食店も増えてきた開発著しい下町に、30年ほど前から、いまも変わらず心地良いBGMと酒に合うつまみを提供するジャズバーがある。マスターの遠田守男氏は中華料理店の元店主。根っからの凝り性ということもあり、ジャズバーをオープンしてもなお料理への探究心が衰えることがなく、通常のジャズバーなどでは考えられない、おもしろい営業形態をとっている。
「子どもの頃からジャズが好きだったからジャズバーを始めたんだけど、昼間にこの場所を使わないのがもったいなくてね。せっかくだから、ラーメンを出そうってことになったんです」
そのため、「ゆうらいく」にはふたつの顔がある。「JAZZ LIVEとおでん鍋の店」がコンセプトの「ゆうらいく」と「らーぁ麺 創作麺工房」を冠した「遊来區」だ。しかも「遊来區」で提供するラーメンは、トビウオやカツオ、サバ、貝柱などからダシをとった魚介ベースのスープに、自家製の卵入り麺を合わせている。化学調味料を一切使わず、作り置きをしないこだわりようだ。当然、「ゆうらいく」で飲んで小腹を空かせたお客さんから、ラーメンをリクエストされることもあるそうだが……。
「ラーメンは昼だけです。夜はおでんとつまみ。カレーは昼も夜も出してるけど、昼はカレーライスで、夜は酒に合うようにちょっとスパイシーにしてバケットを付けています」
昼と夜のメリハリという点にも、遠田氏にはこだわりがある。
昼の「遊来區」と夜の「ゆうらいく」を営む遠田氏の一日は長い。朝から厨房に入って仕込みをし、午後に少し休憩をとってから日付が変わるまでカウンターに立つ。それから後片付けをするのだから、一日の半分以上を店で過ごしていることになる。だからこそ、「ゆうらいく」には遠田氏がリラックスできる工夫が施されている。
「一番いい音が聴ける場所がカウンターの中。一番長く店にいるのは僕なんだから、それでいいんじゃないかなってね。このことを心得てるお客さんは、僕の真正面の席に座りますよ(笑)」
その場所は8席あるカウンターのやや入口側。背後の壁際に設置された2台の"Lancer 101"のちょうど中央にあたる位置だ。音質にも独自のアレンジを加えている。
「高音が強いと疲れちゃうんで、長時間心地良く聴いていられるように自分でアンプを調整して低音を効かせています。スペースの関係でスピーカーを高いところに設置しているっていうのもあるかもしれないけど、低音を効かせたほうがしっくりくるんです」
確かに「ゆうらいく」の場合、カウンター席に座った方が低音の効いた音が届きやすい。一方のテーブル席は音が頭上を通り過ぎるので、スピーカーとの距離は近いが話をしやすい。構造の関係で天井付近に"Lancer 101"を設置しているが、そのことによって自然と、カウンターに座るとジャズが楽しめ、テーブル席では語り合うことができる店内に仕上がったというわけだ。
「多分、ウチの店にはこのスピーカーが合うんでしょうね。防音壁がうまい具合に反響してくれるから、この部屋自体がスピーカーみたいになっているんだと思います。開店したばかりの頃は別のメーカーのスピーカーを使ってたんだけど、濁る感じがするし、どうもしっくりこなかったんです。それで、ジャズならやっぱりJBLだろうと。使い始めた当初は少し硬く感じたけど、徐々に馴染んできたんでしょうね。随分柔らかくなって、満足していますよ」
おでんや煮込みなどの肴も評判の「ゆうらいく」には、料理が目当ての地元客も訪れる。なかには「ジャズより肴」という人もいるわけで、そんな時、遠田氏はさりげなくオーディオのボリュームを下げる。逆にジャズに耳を傾けていることを察すると、程よい音量までボリュームを上げる。
「しゃべりたい人、飲みたい人、聴きたい人……。いろいろ目的があって来てくれるんだから、流す曲も音量もその時々に合わせています。だからジャズを聴きに来ているお客さんだけの時は、音量を上げて僕も一緒に楽しんでます。あと、お客さんがいない時もね(笑)」
その一方、月に数回は、ジャズ好きばかりが集まる夜がある。
「毎月、少なくても1回はプロのジャズ・ミュージシャンを招いてライブを開いています。狭い店だから楽器を広げたらいっぱいになっちゃうけど、それもいいのかなって思ってましてね」
ジャズ好きの常連客も同じことを思っているようで、「ゆうらいく」のライブは間近で生演奏が堪能できると好評を博している。出演するミュージシャンも、おでんが食べられるジャズバーでのライブを嬉々と告知するほど、「ゆうらいく」での演奏を楽しみにしているようだ。
眼前で繰り広げられる迫力のライブ、臨場感あふれる音楽、酒に合う料理、コミュニケーション……。「ゆうらいく」だからこその魅力はさまざまある。それ故に客人の各々が求めるものは違うわけで、予感した通りの日もあれば、意外な出会いがある時もある。「ゆうらいく」の夜は、いつも一期一会だ。